ドーナツ盤の回転数は45回転といって
わかる人は昭和の人以外にもいるだろう
1978年にヒカシューを結成し
1979年の10月に「20世紀の終りに」でデビュー
このEP盤が直径17センチのドーナツ盤である
45周年を記念してEP盤を作ったらどうか
そんな提案があった
ヒカシューのLPデビュー盤には山口はるみの絵がある
これはまさにパルコとヒカシューの繋がりを象徴している
山口はるみ、小池一子、石岡瑛子と言えば
パルコのクリエイティヴを支えた人々である
デビューしてすぐに石岡さんの依頼で
ぼくはパルコの新聞広告に詩を書いたし
その後もパルコのコピーを作ったこともある
もちろん小池一子さんとは長いつき合いである
先頃もぼくの第二詩集の帯文をお願いした
創業の増田さんご夫妻にはお世話になった
また三田さんの従兄弟はパルコの取締役の一人だった
1988年にQUATTRO by PARCOがオープン
ヒカシューはここでたくさんのステージを作ってきた
そして今宵
ヒカシューの凸凹ヒストリー全方位LOVE日和が開幕する
パルコの第1回グラフィック大賞を受賞し
いまや東京芸術大学の学長の日比野克彦のインスタレーションで
80年代のパルコ文化を蘇生させる


巻上公一

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無事敢行 のりきりました。
素敵な人々とたくさんの出会いがありました

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ニシニカリシテからのはじまり
さすが亀さんの手作りフェス
俊足のアキレスも追いつけません
子供たちはクチビルをぷるぷるさせ
俺は興部と西興部のソフトクリームを食べ比べ
北海盆唄に自前のオノマトペでのど自慢
ふいに劇団天井桟敷の俳優福士恵二からメールで
彼が興部出身と初めて知る
会場のゲストハウス「GA.KOPPER」は
小学校を生まれ変わらせた
食を知り尽くした浅野さん夫婦による宿
のびやかな魅力に満ちている
熊、鹿の肉、ほたて、ウニ、に舌鼓
杜氏でもあった浅野さんの日本酒も
呑めば星空と共鳴できるだろう
浅野さんがレニングラードカウボーイよろしく
颯爽とバイクで現れたのには驚いた

教育委員会の計らいで旭川まで大きなバンで向かう
もち米の里☆なよろでトウキビを食べ大福を買い
名寄のホテル山一のエピソードを知る

旭川のラーメン村では梅光軒を推薦され
西興部の行者の滝で刺されたのか
指に痒みを覚えたのは
ライブハウスモスキートのリハだった
終演後にアナログでLARS HOLLMER
Areaのデメトリオの声にTHIS HEATとは
店主の大西さんの趣味はヒカシューと近い

岩見沢とぼくの縁はMNF in JOIN ALIVE(2019)出演で
EYEや飴屋法水と濃厚なソロを奏でた
ばかりか
ヒカシュー結成の立役者のひとりロンドンで俳優を貫いた
故・楠原映二が岩見沢の出身でもある
そして企画をしてくれた吉田野乃子に感謝
お宅にヒカシュー全員でお邪魔して
ごちそうをもてなしていただいた
同世代のお父様の大きなフォローがうれしい
また名物の天狗まんじゅうの美味たるや
当日のはじまりはあいにくの雨だったが
雨上がり
会場のMPホールに着くと大きな半径で虹がかかった
高島ファミリーのあたたかい受け入れ

札幌には沼山さんとののこさんとお父さんのクルマで
途中雨が心配だったがイサム・ノグチ庭園美術館を訪問
ランチはいつもの五○堂でTODAY'S SPECIALのブリのスープカレー
BGMはゾーンかマイルスか
なぜか三田、坂出チームは白樺山荘で味噌ラーメン
カレー三昧がラーメン三昧とは

琴似駅に直結した会場パトス。
移転前には、こまっちゃクレズマやモリイクエDJオリーブと来た
札幌はNOW MUSIC ARTSの沼山良明さんが長年築いてきた
音楽シーンがある
聴衆も演奏家もそこで感性を養われてきた
OAは、吉田野乃子率いるCubic Zeroその転換のスピードは
John Zornのところで学んできた吉田の真骨頂である

久しぶりの北海道は歓迎され祝福され
ヒカシューに大きな力を授けてくれた

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人流じんりゅう
塩味えんみ
が気に入らないこの頃
金木犀の香が風に乗って
その銃声の謎を解きもせず
なにやら
国技館に集まっているようだ
子供の時分
総理大臣は立派と思っていたのが
懐かしい
いいリーダーのいない午後
1ミリも悲しくもなく
怪しい儀式に弔いの意味はない

*じんりゅうとえんみは、誰がいいはじめたのか  *法的根拠なく国民の思いを分断した罪は重い。

「君が代」が国歌として法的に認められたのは平成11年(1999年)。
実に最近の話である。それまで日本は国旗国歌を制定してなかった。
日本という国は、もやっとした曖昧な空気のままが好きなようだ。
 「君が代」は、たいていは国旗掲揚降下の時に演奏されることになっている。
 最近、アメリカのイベントの真似をして、日本でも有名歌手が歌うようになってきた。
しかし、かなり難しい。多くの立派な歌手が歌唱に失敗してきた。
 式典で「君が代」を歌わない教師を罰するなんて言う人がいるが、
果たしてその方々は、この歌をきちんと歌えるのだろうか。採点してみたいものだ。
 (それに「君が代」を日常的に歌っている人なんているのだろうか)
 東京オリンピック2020開会式で堂々と、まるでアメリカの歌手のように歌唱したMISIAが、
フジロックで唐突に歌ったことで評判を落としたことが話題になっていた。
 なぜ彼女はうたったのだろうか。
 国旗掲揚もないのに歌うことは特別な意味を持ってしまう。
 この歌は、「君」をめぐって厄介な問題を抱えたままなので、やたら歌うことが憚られる面がある。
 コロナ禍で強硬に開催したフジロックはそれだけでもファンの分断を生んだ。
そこに追い討ちをかけるようにさらなる分断を仕掛けたMISIA。
 ぼくは「君が代」のメロディーは割と好きなのだけど、とても残念である。
 彼女はオリンピックで得意げになって、TPOわきまえず歌ってしまったのだろう。
まわりが誰も止めなかっのも気にかかる。

閉会の東京づくし
物語にスカに音頭のつまみぐい

やっときたのがオリンピックマーチ

年の瀬のゆく年くる年だったのか
卒業袴にアン・ディー・フロイデ

武満徹「波の盆」に珍ダンスで
黙祷しろと言うのか

オリンピック賛歌は
古関裕而がオーケストラにした功績を賛えよ

そういえば
デイリーハイライトのNHKアナウンサー 
石田純一ばりのノー靴下にミサンガ
スタイリストは誰

溢れ出るラルラリラ
浮かばなかった五文字を入れよ
舌もつれつつ

上を向いて歩けば
にじんだ星はオリオンか
愛の讃歌は美輪明宏訳を推薦したい

宇宙からサックスのラ・マルセイエーズが届いた

すべてはアンダーコントロールからはじまった
いまだ制御できない根本にある斯斯然々(かくかくしかじか)

二転三転の開会式など観たくもないのに
生来のやじ馬根性がむくむくとして

固唾を呑んだ冒頭4分間が
NHKの番組テーマの如くはじまり
ちょっとの無音に「ここか?」と思う愚か者

装置が思いのほか小ぶりなのは発注間違いなのか
木遣りの棟梁に訊こうと思うが
その棟梁が真矢ミキときた日にゃ美人過ぎて

(竹中直人棟梁は自粛するという念の入り)
火消しは技を出し惜しみ

座頭市ラストシーンいや
ミュージカルのSTOMPばりに
トントンカンカンキーコギコ
タップダンスは熊谷和徳じゃないか

(セネガルの打楽器奏者ラティール・シーは突然キャンセルされた)
カヒミ・カリィの旦那じゃないか
彼のよさが豆粒みたいに●みえるよ

国歌斉唱はかき氷仕様のMISIAで
アメリカの歌手の風格を持っている
だからか鼻濁音を知らぬようだ
恐れを知らぬアレンジは鷺巣詩郎だったのか
歌うつもりはないが歌いにくい

「君が代」を曖昧母音で歌い抜く

森山未来はザハ・ハディドの未練の幽霊なのに
よくぞ登場したものだ
何を追悼するつもりなのか節操ないも甚だしい
鎮魂のナルシズムもどき

ドラクエも高々に堀井さん喜ぶ
音楽監督DJにつき
行進曲はゲーム音楽のリミックス

(ドラゴンクエスト(「序曲:ロトのテーマ」)、ファイナルファンタジー(「勝利のファンファーレ」)、モンスターハンター(「英雄の証」「旅立ちの風」)、
クロノ・トリガー(「カエルのテーマ」「ロボのテーマ」)、キングダムハーツ(「Olympus Coliseum」「Hero’s Fanfare」)、NieR(「イニシエノウタ」)

地上では205の国を迎え入れる
京都のマンガ博物館のおみやげめいた
白黒の風呂敷を
ポンチョ風にかぶりオバQが思い思いのダンスをしている

キルギスとタジクにマスクなしの希望

市川海老蔵の鎌倉権五郎が「しばらく、しばらく」と
見栄を切らんとする、ところかわって、街角ピアノかあれは
高速の指先で歌舞伎無視して突っ走る
地獄のコラボ

プログラミングされたインテルのドローン「Shooting Star」システム
新国立競技場の上空を彩り
コロナウイルス似の地球の形になった時
日本の空はアメリカのものだったことを思い出す

ピクトグラムは仮装大賞にあと一点足らず
喰始さんに相談すれば合格
STOP!映画泥棒にも似てバドミントン落とす

百田尚樹も知らなかった
ボレロがアニメ音楽だったとは

東京オリンピックコントロールセンターで
モットーは英語だけなのに
ここに来て「へのへのもへじ」を書くのは
ミスタービーンではなく
ひとりとしずかなり

最終聖火ランナーの大坂なおみが
宗教めいたオブジェに近づくと
モーゼのように階段が現れる
熱海MOAを思い出すのはぼくだけか
佐藤オオキの聖火台の緻密な作り

ところで聖火台を作りわすれた隈研吾はどこに?
マリオになった安倍晋三はどこに?

音楽は作曲ではなく選曲に終始した
なぜか英語の「翼をください」
スーザン・ボイル
既視感のある歌い継ぐ「イマジン」
杉並児童合唱団(アジア)、アンジェリーク・キジョー(アフリカ)、
アレハンドロ・サンス(ヨーロッパ)、ジョン・レジェンド(アメリカ)、
キース・アーバン(オセアニア)

We are the worldというより24時間テレビ
聖火点灯の音楽は
ドクター・コッペリウス
冨田勲と初音ミクの共演ではないか

アスリートには大きな声援をおくりたい
パフォーマーもおつかれさま
森喜朗爺さんに訊きたい
バッハ(♂)の演説は橋本聖子(♀)より長かった

東京オリンピック2020を讚えたい
東京オリンピック2020に浮れたい
しかしかなんというザマ
なんという惨禍

巻上公一

父が骨になって出てきた。
高性能な炉で温厚な笑顔がついにこの世から消えてしまった。
3日前の9時17分に死体になって、
病院から27キロの居間に帰ってきた。
翌日愛用の髭剃りで髭をそったはずなのに、
炉の前に来た父の髭は明らかに伸びていた。
コロナウイルスによる緊急事態の中で、
多くのイベントが中止になっていたおかげで、
このひと月あまり毎日父といることができたし、
倒れた時も救急車に同乗していた。
それから6日間意識が戻ることはなかった。
妹や孫たちも病院に訪れ幾度も声をかけた。
葬儀は映画「お葬式」で有名な葬儀屋さんの二世で、
てきぱきと不安なき名人芸の手配だった。
(彼は母の雑貨店の小学生のお客さんでもあった)
お寺に打ち合わせにいくと、方丈さんのお母さまは父と同級生、
そして彼は小田原高校の後輩であった。
山で働き、山が好きだった父のために、
嶺山實堂なる戒名を授けてくれた。
欲張れば、豬や筍や鰻や西瓜まで網羅したいが、
父は倒れる一週間前に国から10万円入るからこの一万円で
鰻にしよう あと西瓜と柏餅と・・
九十歳にして素晴らしい食欲を見せていた。
世界大恐慌の年に生まれた五人兄弟の末っ子で、
少年時代はずっと戦争だった。
十三歳の時から狩猟に参加していたそうだ。
ダマスカスの英国製の銃を自慢そうに持ち、
仕留めた大物の豬を十国峠の看板付近で仲間との写真がある。
終戦後、車で新橋の闇市に行っていたようなのだが、
246号線をとことこと石炭自動車で越えたのだろうか。
二十五歳で結婚し二十六歳で長男が生まれた。
湯河原温泉は活況でタクシー会社で五年間運転手をしていた。
三十三歳くらいから林業に転職しそれから二十二年間働いた。
六十九歳で肺癌になったが手術で全快する不死身ぶり。
生涯現役だった豬は罠猟を研究して多賀の農協で技術を教えていた。
そのせいで生まれてからずっと家庭で豬を食べてきたので
息子であるぼくのからだの半分くらいは豬でできているんだろうと思う。
豬は人を繋げて、ある時は灰谷健次郎さんがうちで豬鍋を食べていたり、
解剖学者の布施英利さんが豬猟の弟子入りしたりいろいろ驚かされた。
若い時は乱暴であったので理不尽に殴られたこともあったし、
文字通りの猪突猛進なので多くの人に迷惑もかけたであろう。
いま骨を壺まで運んでいる。
その骨は燃えかすになって、父のカタチは永遠に失われていた。


巻上公一
2020年5月22日

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日本トゥバホーメイ協会企画、ロシア、アルタイ、キルギス共和国公演
新型コロナウイルス(コビット19)による世界感染拡大によるキャンセルの経緯報告。
2020年4月1日
巻上公一


「平家物語」とキルギスの「マナス」、アルタイの「カイ」を一堂に会してみたい。
現代を生きる語り部たちの頂上会議(サミット)ができないものか。
もちろん物語と英雄叙事詩の違いもあり、もともと性格が違うのだが、
ぼくはこの耳で音として芸能としての発声に注目しながら、
出会いによる気づきを求めたいと思ったのだ。
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2020年1月18日
 渋谷の公園通りクラシックスで「いにしえと未来が夕闇に溶ける瞬間(とき)」と題して、試演会を催した。久保田 晶子さんの「平家物語」の琵琶語りに、パーカッションやテルミンの音を加えてのコラボレーションだ。出演は、アルジャンスー (巻上公一 声、尺八、テルミン  佐藤正治 ドラムス、パーカッション) 久保田 晶子 語り、琵琶、ウメトバエワ・カリマン コムズ、口琴である。
 その響きは、とても魅力的で、3月の交流に向けて手応えを感じていた。
 さて、今回の交流の大きな目的は、こうだ。
 アジア北方の遊牧民が信じているとされている創造神「テングリ」の思想を軸として、伝統と再生、音楽と口承文学、そして日本と北方アジアとの文化的な交流を図り、広くユーラシアの音楽を見直し、新たな発見と発展につなげたい。現在アセアン諸国との交流が深まる反面、ロシア連邦からCIS諸国の交流に弱まりを感じる。文化圏として非常に重要であるので、より強固な関係が必要である。数年にわたるプロジェクトを意識し、北方アジアと日本の大きな交流の輪を築きたい。


 ところがである。2月に入って、武漢からはじまった新型コロナウイルス感染症 (COVID-19 2月11日WHOが新型コロナウイルスの正式名称を「COVID-19」と命名)が、次第にアジア全体に広がりつつあり、
後半に入っても収束するどころか、次々に世界に広がっていった。

3月1日時点
* 国内感染者254名(患者232名、無症状病原体保有者22名)
* 世界の感染者数87,137人

そして、キルギス共和国は、中国に国土が隣接していることもあるのだろう。
3月4日付のキルギス共和国の公式サイトにおいて
「特定の国(中国,イラン, 日本,韓国,イタリア)の国民に対するキルギスへの一時的な入国制限」を発表した。
 それによって、われわれのチームは、まずキルギスで既に決まっていた
キルギス中央テレビとの共同制作コンサートを諦めねばならなかった。
Bakyt Chytyrbaev(伝統楽器kyl-kyjak演奏家) とNamazbek Uraliev(Lute Komuz演奏家)との共演。
マナスチ(語り部)のSamat Kochorbaevは、
以前カルムキアの語り部フェスティバル以来の邂逅に期待をしていた。

 そして、ヨーロッパにCOVID-19が広がりつつ中、ロシアは意外にも冷静な対応で、
中国人は早々に入国制限していたが、日本人にはまったく制限が加わる様子がなかった。
 アルジャンスーのふたり、巻上公一と佐藤正治は、共通で参加しているヒカシューのエストニア公演のために、早めに出発することになった。

3月11日(水)
成田空港からアエロフロート SU261便 13:20発でモスクワへ。
モスクワシェレメチボ空港に17:35着。トランジットでSU2262便でエストニアタリンへ 20:30 に到着。

3月17日から国際交流基金の助成を受けて
モスクワ、アルタイ、キルギスで英雄叙事詩をテーマに交流プログラムをはじめる予定でのモスクワ経由である。
ヒカシューの申請したエストニアのアジアにフォーカスしたフェスティバル「1000 Cranes festival 」(千羽鶴祭)は、国際交流基金から助成を受けられなかったが、アジアにフォーカスしたエストニア初の魅力的なものだったので、参加を決めた。すでにエストニア入りしていた他のメンバーと夕刻過ぎに合流した。

3月12日(木) 朝、世界遺産の旧市街を散策した。グレートギルド(エストニア歴史博物館)の向かい側のエストニアで一番古いカフェ(1806年創業の)マイアスモック(Maiasmokk)で朝食。新型コロナウイルス騒ぎが次第にヨーロッパに舞台をうつしてきていたが、この時点では、ロシアもエストニアも日本人をおおらかに受け入れていた。

3月13日 国際交流基金モスクワ日本文化センターの高口さんからメールをいただく、この時点では、モスクワからシベリアへの日本人の入国規制は行われていなかった。

タリンのバルト駅で、隣接する中央市場(Balti Jaama Turg)のMuhu Pagarid(黒パン屋)で黒パンを買い、Elron(エストニア鉄道)に乗り込んだ。約2時間でタルトゥ駅に到着。タクシーで会場近くのホテルにチェックインする。ホテルから徒歩1分ほどのところにギャラリーやレストランの集まったカルチャーセンターAparaaditehas がある。その一角にある会場のArmastuse saal(訳すと「愛のホール」か)に到着して、機材を広げ、サウンドチェックをしようとしたところスタッフのTiuuさんから待ったがかかる。そこにこの日共演予定のギタリストJaanus Nõgisto(ヤヌス・ヌギスト)がタリンから車に乗って3時間かけて到着した。
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 スタッフのTiuuさんは、電話でいろいろ確認をしている。「なんだかパニックなのよ」政府から緊急事態宣言が出て全ての公演が禁止になるようだという。しかしそれは3月13日からということだったので、お客さんもまばらにやってきて、ギリギリ間に合ってライブを行うことになった。ヤヌス氏は、伝説のギタリストでもあるが、テレビのプロデューサーとして有名人で、エストニア人なら誰でも知っているとのこと。


 3月13日(金) Elron(エストニア鉄道)でタリンに戻る。AIrbnbを主催者が用意してくれたが、3部屋に7人ということなので、ぼくは三田さんと隣のパークインラジソンホテルを自分で予約して移る。
 そうこうしているうちにエストニア緊急事態宣言が発出。大学まで全ての学校が休校、5月1日までのコンサートも禁止に。このフェスティバルのために来ていたダンスのデュオ86B210や山田うんもまったく公演ができないことになった。発案者で振付師のTeet Kask氏は、ダンス作品「金閣寺」を用意していたが、その上演は叶わなかった。


3月14日 (土) ヒカシュー タリン公演(KinoMaja)は、当然中止になる。午前中から旧市街で撮影をすることにした。とても美しい中世の雰囲気を残す町並みで、トームペア城に向かう坂道や広場はどこをとっても絵になる。
 この非常事態もあってなのか、バルト海を臨む倉庫街で営業するモダンな日本食レストランKAMPAIのオーナーが、ランチに招いてくれた。ダンスのデュオ86B210やTeetとヒカシューのメンバーで、コロナウイルスを吹き飛ばす元気なフォトセッションをInstagramにあげた。

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3月15 日 (日) ポーランド航空で3人のヒカシューメンバーが来ていたが、この日ポーランドが全ての国際線のフライトを禁止した。空港に対応を求めに行くも、航空会社スタッフはすでに本国に帰ってしまっていたため、日本まで飛べる便を探し、急遽トルコ航空の便を予約。
 午前10時からMuusa helistuudioという小さなスタジオをレンタルとて録音することにした。人気作曲家DJのSander Mölderの紹介でChris Männik さんの経営。エンジニアはMikkを紹介してくれた。残念ながらスタジオのレベルは高くなく、Mikkさんの腕には不満があったが、それなりに演奏はできた。(ピアノがないのは致命的だった。ピアニストのいるグループにピアノなしは困る。)
 3月16日(月) この日は雨だった。アルタイ共和国の共演者語り部のBolot Bairyshevから連絡があり、すべての文化行事が17日から中止になったとのことだ。
 Коичи Сан.!! Алтай с 17 марта по всей республике преостановленл культурные программы. Один час назад правительство большое совещания было , университеты, школы все закрыли !! Мне очень жаль..

 ということは、ゴルノアルタイスク行きの飛行機をキャンセル必要がある。もちろん予定していたノボシビルスクのコンサートや文化行事すべてに参加することが不可能になった。
 午後になってトルコ航空組が出国した。タリンからのトルコ航空便はこの便が最後になった。
 モスクワ組が残ったが、この日の夜に、
ロシア連邦共和国が18日から外国人が入れなくなることを知る。(スプートニクのニュースで)

 3月17日のモスクワのライブはアルタイ共和国、キルギス共和国における演奏の試演の意味を含み、作曲家、バイオリニストのアレクセイ・アイギ、実験音楽家、サックスのセルゲイ・レートフ氏とのコラボレーションも計画していた。
大規模コンサートではないので、人数をコントロールしての開催のはずだったが、あまりにも急に変化しそうだったので、主催者とキャンセルの方向で相談をした。旅行社に事情をメールし、便のキャンセルと新しいチケットの予約を依頼する。
 3月17日 (火) 朝8:20にホテルのロビーに集合。朝にはDOMでライブはせず、トランジットして帰ることに決めていた。怒濤のような一日だった。多少の心残りはある。この日はまだ日本人はロシアに入れたからだ。でも何かあまりよくない胸騒ぎがあり、まずは危険を回避しようという心が働いたのだと思う。
 そして、タリンからモスクワ行きに乗る。SU2107便10:50発。タリンの飛行場は閑散としていた。免税店やエストニアのおみやげ屋さんも軒並み閉まっていて、エストニアのチャガ粉やハーブを買うことができなかった。

 3月18日(水) モスクワから帰国。成田空港に到着。SU 260 19:45 SVO 11:20成田着

参考
3/13~緊急事態宣言
https://www.ee.emb-japan.go.jp/files/100018893.pdf


3/17~入国制限

https://www.ee.emb-japan.go.jp/files/100021436.pdf

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如月小春の
ニッポンチャチャチャ
山田うんが
演出。

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ゲンロン友の会第10期総会内
〔巻上公一 上田洋子〕【五反田 ゲンロンカフェ】 start 19:30 / close 20:30

ゲンロンのビル入口は、きれいな女性がエレベーターで行き来する。
そんな時、飴屋法水に会った。

この日 できたばかりの詩集『至高の妄想』を書肆山田から運んできた。
『至高の妄想』は、マレーヴィチの「黒の正方形」のことを歌った歌だが、
この日ゲンロンに呼んでくれた上田洋子とは、
モスクワで出会い、その頃の知り合いのロシアの演出家が、
「黒の正方形」に閉じこめられた男の話を戯曲にしたとのことだった。
そんな昔ことを思い出してしまった。


Photos

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