旅行: 2010年8月アーカイブ


トゥバの南シジムの方に行って知ったお茶。
イワンチャイ Иван Чай。
ロシア語の辞書で引くとヤナギランと出てくるのだけど
ぼくが飲んだのは、明らかに白い花で、ヤナギランのような赤味がないものだった。

Googleで検索すると「ロシアの飲み物」というページがあった。
このページの作者もヤナギランではないと思っているらしく、
ノコギリ草に似ていると書いている。

またこの引用も興味深い。

「イワンチャイにロシア産白色粘土とかを混ぜた飲み物で、テイン(カフェイン)を含まず身体にも歯にも良いとされた薬用ハーブティーがロシアの重要輸出品目のひとつだった時代があったが、17世紀以降、イギリスが紅茶市場を独占する過程でこの対抗商品であるイワンチャイをめぐって生臭い商戦があり、イワンチャイは最終的に市場から駆逐された。」

17世紀にシベリアに逃げてきたロシア正教古儀式派の村で飲んでいるわけだから、
飲むだけで歴史の住人になれる。
ノコギリ草は、Achillea sibirica (Sibirian yarrow)なので、まさにシベリアの花。
ロシア語だとトィシャチェリストゥニク アピクノベニー(тысячелистник обыкновенный)となる。
通称は凄いよ。アキレス、ガチョウの葦、草コオロギ、ユダヤ人の草、タイル草、羊の舌。

2年前に同行したイワンくんが、トラヴァ茶(трава Чай)と呼んでいた。
訳すと「草のお茶」だけど、ノコギリ草という時、この名前は妥当かもしれない。


このお茶とてもおいしい。
野の滋味がする。
ただし
日本に持ってくると、どこがおいしいのかわからないと不評である。


もう少し調べてみよう。


アバカンホテルロビーに午前3時半集合。朝6時の飛行機に乗る予定だった。
空港に行くと朝早くから売店もやっていてアルタイのホムスも売っている。
飛行機はモスクワの山火事の影響なのか1時間の遅れ。
やっと飛行機に乗れたのはいいが、席が決まっているはずなのに相変わらずの自由席状態。
これはいいかげんに直してもらいたい。
5時間のフライトでウラジオストクに到着。
その日はヒュンダイホテルでプルコギを食べ、
次の日は潜水艦博物館や展望台に行った。
夜バーに行くと、冴えない男がロシア人女性連れてダンスしていた。
後日、その人物がNHKの家族に乾杯のウラジオストク編に登場していたことが判明。
名前まで知ることになった。
日本に帰国の日、途中昼にに寄ったアルメニア料理店アララトのシャシリックはうまかった。



クズルの小高い山にチベット仏教のマントラが書かれている。
オム・マニ・ペメ・フム
今日これからトゥバを離れようとする日、オトクンがクルマで頂まで行くという。
すでにお坊さんまで同行している。



頂上からの眺めは360度のパノラマ。
ここに仏舎利なのか仏像なのか
オベリスクを建てる計画のようだ。



ホテル前に戻ると、
シュールー・オパールさんとナージャさん。
さらに
ホーメイセンターのゾーヤさん、キーラ、バーニャ。
アンドレイ・モングーシュなど
みんなが会いに来てくれた。


朝、外でブリヌイ(ロシアのクレープ)を焼いているの見ていたら
熱々のできたてを畳んで手渡してくれた。
「熱々は格別でしょ」
朝食のカーシャ(粥)も自然の甘味のみ。
天恵に舌鼓なり感謝なり。
そして、
ミハエルさんが馬を連れてきて、乗せてくれた。
ちょっと散歩程度の騎乗だが、
ミハエルさんがキースリッツァ(酸っぱい子ちゃん)と呼ぶベリー、
たぶんキシクラワー(アカスグリなのかな)を野で摘み、
ほんとに酸っぱい実を食べた。




実は昨晩遅く、日本語堪能なアイドゥンくんが、彼女と一緒に羊一頭を持ってきていて、
朝からバラン(羊の解体)を始めていた。
こういう時のトゥバ人の生き生きとした様子は、筆舌に尽くしがたい。

昼には完成。
最上の客人振る舞うドーシャとスープにハン(血のソーセージ)を入れて、
持参の柚子コショウもかなり合う。

ワークショップはクライマックス。
オッペイさんの言葉が多くなり、とても翻訳できないほど。
さりげなく他のホーメイジの批判も織り交ぜながら、
この出会いに大きな感謝していた。

夕方たった一泊なのに、胸いっぱいの思い出を詰めてこの地を後にした。

ほぼ全員何かの菌にやられて
おなかがかなり緩かったのに、乗り切ることができたのはなにより。
夜11時頃無事クズルに戻った。


クズルから南へまさしく悪路をくね走り5時間。
シジムからエルジェイへ。
ロシア正教会の古儀式派 (Старообрядчество) が移り住んでいる町だ。
手動のフェリーで川を渡り、さらにボートで川岸のキャビンに。

スープ、パン、じゃがいも、ミルク、Сима́のグリル、イヴァンチャイ(Иван Чай)。
すべてが夢のごちそうのような滋味。
優しい味をしている。




夕食後、ロシア民謡と日本の歌を交互に歌う夕べ。
もちろんセヴェックのカルグラ、オッペイのホーメイ。
オトクンの口琴もシミジミ。
夜空は満天。宇宙が降り注ぐ。


トゥバの新博物館を見学すると、雨が降ってきた。
ユルタ(オグ)博物館では、遊牧民の暮らしを教えてくれる。
アルトゥシュ(杜松)を燃やす清めの香りに癒される。
夕方。パーティーに向う。
親戚一同。友人、知人たちに豪華な食事が振る舞われた。
仲間には、ピエロの装束と手品をたくさん仕込んできた人がいて
場を沸かした。
歌は「星降る街角」ワントゥ!
音楽担当の人は、ひとりでキーボード、リズムボックス、歌、ミキシング
すべてをこなしていた。
いつものように後半はダンス。老いも若きも踊り出す。
これぞトゥバ式。


エルガキ(Ergaki)のロッジから220km走り、昼過ぎにトゥバ共和国の首都クズルのブヤンバドィルグィホテルにチェックイン。
(新しいエレベーター!! )
昼食後、みんなはTyvakyzyのチョドラーのワークショップ。
ぼくは隣のトゥバテレビのスタジオを借りて、ふたりのホーメイジのレコーディング。
歌姫ナジェージダ・クーラルのお母様シュールー・オパールさん80歳記念コンサートは、
シャーマンの占いで開催をしないことになっていたが、ぼくらのために
コンサートをしてくれることになっていた。
予定は5時だったが、レコーディングが6時半までかかり、
会場にいってみると、みんながぼくの帰りを待っていた。
到着と同時にコンサートスタート。
モングンオール・オンダール
はじめ錚々たる顔ぶれによる素晴らしいものだった。
夜はチェチェックさん宅で、白いご飯、鳥肉、マンチューの豪華な食事。
家主のチェチェックさんは、ネパール旅行中で不在だったが、
息子さんがSkypeでつなげてくれた。
だけどオパールおばあちゃんのマンチューはおいしいなぁ。



ほんのわずかなハイキングと思ったら、
約12キロのトレッキングだった。
国立エルガキ自然公園の素晴らしさを堪能した。
しかし、昼過ぎに山頂目指すのは、10時半に日が暮れるこの地のみの無謀か。




ぬかるみに足を取られ、泥だらけのズボン。
雪の残る山の肌。
行者にんにくを取る仙人オッペイさん。
ガイドの山男アンドレイの蚊もさせぬ鋼鉄の腕。
わき水を飲む生きた心地。
あと2キロ、あと1キロ。
それはあと5キロだったり。
しかし到着したときの感動たるや言い尽くせぬ。
なんだろうこの彩色の湖は。

送信者 Tuva2010


朝食後、ワークショップ。
なぜかリーダーはセルゲイ・オンダール。
ただ偶然ついてきただけなのに、一番一生懸命。
セヴェックのカルグラはほんとうに凄い。
オッペイさんのホーメイも熟練の渋味。
発音、舌の位置、喉のかたち、歌詞と盛りだくさん。
詳しい内容はマル秘。
ワークショップは行った人たちの特別な時間だ。
そう簡単に公開するわけにはいかない。
さて、昼食は昨日あきらめたシャシリックに挑戦。
早速、芋を焦がすホーメイジ。
豚肉のシャシリック厚すぎて中までなかなか焼けない。
結局、また雨が降ったりで、4時過ぎの昼になった。
でもシャシリックおいしいウォッカによく合う。
7時からは、バーニャ。白樺の枝でばっさばっさと。


ウラジオストクから5時間のフライトでアバカンに到着。
出口には、ホーメイ歌手のセルゲイ・オンダールが偶然いて握手。
彼は4年ほど前からアバカンに住んでいる。誰かを待っていたのだろうか。
預けた荷物を受け取ると、オトクン(今回の企画者)が登場。
13人乗りのバスに乗り、180キロトゥバへの道を行きエルガキ自然公園のキャビンに到着。
なぜかセルゲイも手ぶらで同乗して来た。
「こんにちは」
流暢な日本語で迎えてくれたのは、アイドゥンくん。
ウラジオストクの大学で日本語を勉強し、9月に日本に留学する予定だという。
エルガキは、ロシア共和国クラスノヤルスク区に位置している。
アイドゥンくんはトゥバのクズルからわざわざクルマを飛ばして挨拶に来てくれたようだ。
すでに今回のワークショップのマスターであるアルドェンノール・セヴェックさんとオッペイ・アンドレイさんが到着していた。
アルドェンノール・セヴェックさんは、ムングンタイガから。
オッペイ・アンドレイさんは、バイタイガから。
ふたりとも4000m級の山に住んでいる。
さて、夕飯はシャシリックのバーベキュー予定だったのだが、雲行きが怪しい。
山の天気は変わりやすく、雨がぱらつきはじめ、レストランキャビンでの夕食に変更した。


ウラジオストク行は今年からなんと成田発着便!!
成田出発時の一番の驚きは、成田でルーブルに替えられたこと。
そればかりか、ウラジオストクで円からルーブルに替えられたこと。
知らない人にはなんの驚きもないでしょうが・・・いままでにないことです。