ヒカシュー: 2011年5月アーカイブ

朝早く起きて、ヒカシューメンバーの部屋に行く。
ぼくの部屋はワンベッドルームのツインベッド、そして大きなリビングとキッチン。
メンバーは、2ベッドルームのトリプルとツインに
さらに大きなリビングと大きなベランダとバルコニー。
昔ほんの少し在籍したプロダクションの持ち物で、場所の便もいい。
ベルを押すと三田が出た。
三田超人の「うらごえ」は完成していた。
「ひとり崩壊」という詩に誰も曲を付けないようなので、
リビングのギターで自分で作曲。

メンバーが同じコンドミニアムに泊まれるのは大きなメリットがある。
「生まれたての花」も清水さんが高速で譜面にしてくれた。
朝のほんの2時間ぐらいで、驚きの作業効率だ。

午前11時にスタジオにタクシーで到着。10ドルだった。
今日は歌ものを中心に録音する。
「生まれたての花」「夕方のイエス」「うらごえ」

夕方録音を終えて、
夕食は家族やKenjiさんとcacio e vinoでピザ。




午前10時 ノーホーのスタジオEASTSIDE SOUNDに到着すると、
エンジニアのMarcが笑顔で迎えてくれた。
しかし、この入口、知らなければここにスタジオがあるなんてとても思えない。
さらに驚いたのは、スタジオのセッティングはほぼ完璧に準備されていた。
もちろんメールでのやり取りはあったけど、すぐにでも録音できる状態になっていたのには
とても驚いたし、感動した。またそれぞれのモニターには、日本語で楽器名と担当者が日本語でプリントしてある。
ドラムもいろんなものがあるらしいが、マサは、ロジャーズを選択していた。
ぼくのヴォーカルマイクは、四角い穴が空いたようなユニークな形状のものでしげしげとみつめてしまった。
ブラックホールという名のラトビアのマイクとのこと。
コルネット用のマイクは、RCAのリボンマイクだ。
午前中だけで、4つの面白いセッション録音できた。
はやい。
はやすぎるぞ。






この日はホテルからコンドミニアムに移動。
昼は、ジョン、イクエさん、三田超人、うちの家族と一緒に
中華街ではないところでDim sum。
久しぶりに北京ダック堪能。

この日は、ずっと詩を書いたり、曲を書いたり。

明日のレコーディングに備えての下準備。
昨年(2010年)の年の始まりに、カナダの首都オタワの詩のイベントを主催している
マックス・ミドル氏から出演のオファーがあった。
ミドル氏は、ぼくがTZADIKから出しているSOLO VOICE やカナダのVICTO labelから出している
FIVE MEN SINGINGというアルバムのアバンギャルドな声の世界が好きらしい。
だけど渡航費まで出せないようだった。
そこで、いくつかのコンサートを企画する必要があったのだが、
ちょっと思いついて、VICTORIAVILLEというケベックの田舎町で26回も行われている前衛的音楽祭に
出演することになれば、国際交流基金などに助成をお願いすることもできるのではないかと提案した。
VICTORIAVILLEのプロデューサーのミッシェルさんに話をすると2010年は、すでに出演者は決まっていて
むずかしいようだった。
そこで1年経って、ヒカシューの新作と
TOKYO TAIGAというアルタイのボロット・バイルシェフとのコラボーレーションのCDを送っておいた。
ミッシェルがTOKYO TAIGAをとても気に入ってくれて、2011年のカナダ行きのプロジェクトがスタートした。

そこで、せっかくならNewYorkでも演奏したいと考え、ジャパンソサエティに話を持ちかけた。
すると、ヒカシューならできそうと言われた。
もちろん大喜びしたが、
世の中思い通りにはならないものだ。
カナダはTOKYO TAIGA
ニューヨークはヒカシューということになってしまった。

そんなわけでこの日ニューヨークJFKに到着したのである。

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