ワークショップ: 2010年8月アーカイブ
朝、外でブリヌイ(ロシアのクレープ)を焼いているの見ていたら
熱々のできたてを畳んで手渡してくれた。
「熱々は格別でしょ」
朝食のカーシャ(粥)も自然の甘味のみ。
天恵に舌鼓なり感謝なり。
そして、
ミハエルさんが馬を連れてきて、乗せてくれた。
ちょっと散歩程度の騎乗だが、
ミハエルさんがキースリッツァ(酸っぱい子ちゃん)と呼ぶベリー、
たぶんキシクラワー(アカスグリなのかな)を野で摘み、
ほんとに酸っぱい実を食べた。
実は昨晩遅く、日本語堪能なアイドゥンくんが、彼女と一緒に羊一頭を持ってきていて、
朝からバラン(羊の解体)を始めていた。
こういう時のトゥバ人の生き生きとした様子は、筆舌に尽くしがたい。
昼には完成。
最上の客人振る舞うドーシャとスープにハン(血のソーセージ)を入れて、
持参の柚子コショウもかなり合う。
ワークショップはクライマックス。
オッペイさんの言葉が多くなり、とても翻訳できないほど。
さりげなく他のホーメイジの批判も織り交ぜながら、
この出会いに大きな感謝していた。
夕方たった一泊なのに、胸いっぱいの思い出を詰めてこの地を後にした。
ほぼ全員何かの菌にやられて
おなかがかなり緩かったのに、乗り切ることができたのはなにより。
夜11時頃無事クズルに戻った。
エルガキ(Ergaki)のロッジから220km走り、昼過ぎにトゥバ共和国の首都クズルのブヤンバドィルグィホテルにチェックイン。
(新しいエレベーター!! )
昼食後、みんなはTyvakyzyのチョドラーのワークショップ。
ぼくは隣のトゥバテレビのスタジオを借りて、ふたりのホーメイジのレコーディング。
歌姫ナジェージダ・クーラルのお母様シュールー・オパールさん80歳記念コンサートは、
シャーマンの占いで開催をしないことになっていたが、ぼくらのために
コンサートをしてくれることになっていた。
予定は5時だったが、レコーディングが6時半までかかり、
会場にいってみると、みんながぼくの帰りを待っていた。
到着と同時にコンサートスタート。
モングンオール・オンダール
はじめ錚々たる顔ぶれによる素晴らしいものだった。
夜はチェチェックさん宅で、白いご飯、鳥肉、マンチューの豪華な食事。
家主のチェチェックさんは、ネパール旅行中で不在だったが、
息子さんがSkypeでつなげてくれた。
だけどオパールおばあちゃんのマンチューはおいしいなぁ。
送信者 Tuva2010 |
朝食後、ワークショップ。
なぜかリーダーはセルゲイ・オンダール。
ただ偶然ついてきただけなのに、一番一生懸命。
セヴェックのカルグラはほんとうに凄い。
オッペイさんのホーメイも熟練の渋味。
発音、舌の位置、喉のかたち、歌詞と盛りだくさん。
詳しい内容はマル秘。
ワークショップは行った人たちの特別な時間だ。
そう簡単に公開するわけにはいかない。
さて、昼食は昨日あきらめたシャシリックに挑戦。
早速、芋を焦がすホーメイジ。
豚肉のシャシリック厚すぎて中までなかなか焼けない。
結局、また雨が降ったりで、4時過ぎの昼になった。
でもシャシリックおいしいウォッカによく合う。
7時からは、バーニャ。白樺の枝でばっさばっさと。
ウラジオストクから5時間のフライトでアバカンに到着。
出口には、ホーメイ歌手のセルゲイ・オンダールが偶然いて握手。
彼は4年ほど前からアバカンに住んでいる。誰かを待っていたのだろうか。
預けた荷物を受け取ると、オトクン(今回の企画者)が登場。
13人乗りのバスに乗り、180キロトゥバへの道を行きエルガキ自然公園のキャビンに到着。
なぜかセルゲイも手ぶらで同乗して来た。
「こんにちは」
流暢な日本語で迎えてくれたのは、アイドゥンくん。
ウラジオストクの大学で日本語を勉強し、9月に日本に留学する予定だという。
エルガキは、ロシア共和国クラスノヤルスク区に位置している。
アイドゥンくんはトゥバのクズルからわざわざクルマを飛ばして挨拶に来てくれたようだ。
すでに今回のワークショップのマスターであるアルドェンノール・セヴェックさんとオッペイ・アンドレイさんが到着していた。
アルドェンノール・セヴェックさんは、ムングンタイガから。
オッペイ・アンドレイさんは、バイタイガから。
ふたりとも4000m級の山に住んでいる。
さて、夕飯はシャシリックのバーベキュー予定だったのだが、雲行きが怪しい。
山の天気は変わりやすく、雨がぱらつきはじめ、レストランキャビンでの夕食に変更した。