海外: 2011年5月アーカイブ

今日は、オタワからモントリオールへまず2時間かけて移動。
モントリオール空港でヴィクトリアヴィルフェスティバルのクルマを見つけるのが大変だった。なかなか見つからず、ロジャーさんというテンガロンハットを被った髭で半袖の運転手さんと会うのに30分くらいかかった。
そしてさらに約2時間かけてヴィクトリアヴィルへ。
ここはケベック州なのでフランス語圏になる。
まず町の外れのホテルにチェックイン。少し休んで、町の中心へ。
もう午後4時からサウンドチェックなのだ。
ヴィクトリアヴィルの音楽フェスティバルFestival International de Musique Actuelle de Victoriaville(FIMAV)  は、今年で27回目。
アンソニー・ブラクストンはじめジーナ・パーキンス、ヤープ・ブロンクなどが出演する、北米で最も大きな先端的音楽のフェスティバルである。即興、前衛ロック、ノイズがプログラムの中心である。
ニューヨークからも車でファンがたくさん来るなど、このフェスティバルはかなり重要なフェスティバルであると思われる。
サウンドチェックが終わって、近くのレストランで使える食券をいただいていたので、腹ごしらえ。ここの食事はフランス語圏とは思えないほどのイギリス風。
そして本番は8時から。
会場は映画館。やけに真っ暗になるのがまさに。
最初に、ぼくは短いヴォイスのソロをした。
それから正治とボロットのトリオになるのだけど、
このフェスティバルでのトリオ決して良かったとはいえなかった。

テルミンもぼくの声も小さくて、切り込みがなんだかうまくいかない。
またトップバッターというのも、
フェスティバルを理解する時間がなかったのでなかったかと感じた。
このフェスティバルはどちらかというとヒカシューで来たほうがよかったかもしれない。
でも、主催者のミッシェルが、TOKYO TAIGAを選んだのだから
これでいいのだろう。
やや不完全燃焼だったけれど。
それでもニューヨークから来たレコード店オーナーのブルースさんは
「よかったよ」と言ってくれた。
ちょっと安心。








昨晩、宿泊したホテルは、オタワのLord of Elgin Hotel。落ち着いたいいホテルだ。
遅めの朝食をホテルと直接繋がっているスターバックスでとった。
オタワでの主催者はマックス。ミドル氏という詩人。
2年前から、オタワに来て欲しいと頼まれていた。
おそらく朗読する詩人たちのネットワークないしは情報のやりとりがあるのだろう。
以前、カナダに来た時のメンバー、ヤープ・ブロンク、フィル・ミントンたちが
このシリーズに参加している。彼らはサウンドポエットとの繋がりも大きい。
ぼくもおそらくサウンドポエットの領域からここに呼ばれたのだろう。
だからソロでもよかったのだが、せっかくなら新しいプロジェクトがいいだろうと思い、
アルタイの英雄叙事詩を謳うボロット・バイルシェフとパーカッションの佐藤正治を加えたАЯのTOKYO TAIGAで来ることを提案した。
ミドル氏のポスターをみると、TOKYO TAIGAともうひとつ名前が書いてある。
この名前の意味は後で知ったが、女性フォークシンガーのオープニングアクトがあった。
TOKYO TAIGA + Tara Holloway

午後1時、ミドル氏の案内でラジオ局に行く。生放送で宣伝というわけだ。


セッティング中



お客さんは、詩人筋ということもあってか、割と年齢が高めだったような気がする。
最初は、ぼくのソロヴォイスを10分ほど、正治が加わって、だんだんトリオになるスタイルだ。
よかったのか、どうなのか、演奏していて少しはわかるが本当のところはわからない。
日本大使館の文化担当官の方がほめてくださったので、よしとする。






ここにパール・ビリーさんのコンサート評があります。

It was wholly absorbing and with little runs of joy thru the music. A mix of transcendent and comedy and sustained mood. They played songs back to back without any banter to break up the sounds.


Sound and furiously good times: Pearl Pirie reviews the AB Series


この日からヒカシューのメンバーと別れ、
ぼくとマサは、カナダに向かった。夕方の便だったので、
少しニューヨークを散歩。
散歩が楽しい街だからね。

夕方のデルタ航空で、まずモントリオールへ。
空港で、友人の振付師のニコラス・ディクソンと待ち合わせしていて、
会えたのは本当にうれしかった。
1985年に小林紀子バレエシアターで作品を作り、
1987年にチュチュランド・アカデミーというグループを作り
「なにもかも踊れ」「そばでよければ」などの作品を作った仲間だ。
カナダに居を移してから、会っていなかった。
「また、なにかつくろうよ」と彼は言う。
「なにかね」
なんだろう。つくれるのは。

オタワ行きのバスの時間になったので、乗り込む。
チケットの買うのを忘れて乗ったが、途中コンビニに寄ってくれて
チケットを買ってこいとバスの運転手に言われ、購入。
どんどん田舎になって、真っ暗闇になって、とても遠かった。
オタワに着いたのは、夜。
主催のマックス・ミドル氏がバスの終点で待っていてくれた。
そこからタクシーでホテル ロードエルギン(Lord Elgin)にチェックイン。
で、もうすぐボロットがバスで到着するはずなので、再びバスターミナルへ。
するとボロットのバスがなかなか着かない。
どうもバスが気を利かせてホテルのそばまで行ってくれたようだ。
それがわからず約1時間ボロットと会えなかった。



朝早く起きて、ヒカシューメンバーの部屋に行く。
ぼくの部屋はワンベッドルームのツインベッド、そして大きなリビングとキッチン。
メンバーは、2ベッドルームのトリプルとツインに
さらに大きなリビングと大きなベランダとバルコニー。
昔ほんの少し在籍したプロダクションの持ち物で、場所の便もいい。
ベルを押すと三田が出た。
三田超人の「うらごえ」は完成していた。
「ひとり崩壊」という詩に誰も曲を付けないようなので、
リビングのギターで自分で作曲。

メンバーが同じコンドミニアムに泊まれるのは大きなメリットがある。
「生まれたての花」も清水さんが高速で譜面にしてくれた。
朝のほんの2時間ぐらいで、驚きの作業効率だ。

午前11時にスタジオにタクシーで到着。10ドルだった。
今日は歌ものを中心に録音する。
「生まれたての花」「夕方のイエス」「うらごえ」

夕方録音を終えて、
夕食は家族やKenjiさんとcacio e vinoでピザ。




午前10時 ノーホーのスタジオEASTSIDE SOUNDに到着すると、
エンジニアのMarcが笑顔で迎えてくれた。
しかし、この入口、知らなければここにスタジオがあるなんてとても思えない。
さらに驚いたのは、スタジオのセッティングはほぼ完璧に準備されていた。
もちろんメールでのやり取りはあったけど、すぐにでも録音できる状態になっていたのには
とても驚いたし、感動した。またそれぞれのモニターには、日本語で楽器名と担当者が日本語でプリントしてある。
ドラムもいろんなものがあるらしいが、マサは、ロジャーズを選択していた。
ぼくのヴォーカルマイクは、四角い穴が空いたようなユニークな形状のものでしげしげとみつめてしまった。
ブラックホールという名のラトビアのマイクとのこと。
コルネット用のマイクは、RCAのリボンマイクだ。
午前中だけで、4つの面白いセッション録音できた。
はやい。
はやすぎるぞ。






この日はホテルからコンドミニアムに移動。
昼は、ジョン、イクエさん、三田超人、うちの家族と一緒に
中華街ではないところでDim sum。
久しぶりに北京ダック堪能。

この日は、ずっと詩を書いたり、曲を書いたり。

明日のレコーディングに備えての下準備。
ニューヨークのジャパンソサエティでの公演はもう3回目になる。
最初は、ジョン・ゾーンのレーベルTZADIKののイベントNEW VOICE FROM JAPAN(2006年)で
EYE,灰野敬二、巻上公一の3人に、ジョン・ゾーン、ジム・オルーク、マイク・パットン、イクエ・モリ
という豪華な布陣。(この時は水ぼうそうになってしまい、みんなに迷惑をかけてしまった)
2008年には、イクエさんのニューヨーク活動30年を記念したイクエ特集に参加。
ジーナ・パーキンス、シロ・バプティスタと共演。イクエさんの黄表紙シリーズでの口上などを初演。
そして、やっと自分のバンド ヒカシュー とともにニューヨークに来ることができた。
度重なるジャパンソサエティの塩谷さんとのミーティングで、
ヒカシューをどう紹介するかを熟考した。
いろんなプランがあった中、可愛らしい篠原ともえさんを加えるという方向に落ち着いた。
篠原さんの音楽活動を支えているスティーヴ・エトウにも同行してもらうことも依頼した。
最近のヒカシューは実にフレキシブルになっている。
歌、即興、その緩急を自在に行える。自分はさておき、すごいメンバーだ。
この中に篠原さんを置くわけにはいかないので、
篠原ともえのステージとヒカシューのステージは完全に分けることにした。
そして、ぼくは彼女のステージには出ないでいようと考えた。
ヒカシューのメンバーは、彼女のステージすべてに参加し、ミュージシャンらしさを演じていた。
ライブには、ジョン・ゾーン、イクエさん、ジーナ、シェイナや、エンジニアのマーク。
パフォーマーの中馬さんなどニューヨークの友人たちが多数観に来てくれた。
最初のスティーヴのソロに佐藤正治も加えたら、ふたりはパーカッション叩くのそっちのけで
ヴォイスパフォーマンスをはじめてしまった。
構成がわかってないんだなと思ったけど、これはぼくの説明ミスだ。
はじめに打楽器によるプロローグ、可愛らしい篠原ともえ、そしてヴォイスはヒカシューまで
とっておかなければと思っていたのだが、仕方ない。
篠原ともえのステージは可愛らしさ120パーセント。歌も衣裳も手作りなともえワールドが出現した。
ヒカシューは、最初インプロヴィゼーションからスタートした。暗く深く。
やはり311の大震災とその後の福島の状況は深刻なものがあり、表現者はそれを乗り越える力を自然に創出させる。
「キメラ」という歌は、歌詞を英語にして曲の中でナレーションした。

経済はあらゆる細胞を実験台にする
警告は誰もが生活を理由に無視をした
ジャパンソサエティに着いてみると、
いつもの会場が大変身していた。
立派な客席を使わず、通常ステージであるところを使って
日本のライブハウスのように作り替えていた。
そして、なぜか提灯が吊ってある。
夏祭りの風情。

楽器のセッティングなどを確認して、ホテル(Roger Smith)にチェックイン。
そして、すぐさまブロードウェイのスパイダーマン(SPIDER-MAN TURN OFF THE DARK)の初日へ。
ブロードウェイミュージカルを観るのは、たぶん35年ぶり。
20年近く毎年ニューヨークに来ているが、まず観ない。
運がいいことに、主役が怪我をして休演後の初日とのことで、
ロビーからして盛り上がっていた。
しかも、ぼくが取った席は、真ん中の前から5列目。関係者だらけだ。
たまにはこういうイベントに行ってみるものだね。
明日のライブに向けて、かなり高揚した。

音楽はボノ。


昨年(2010年)の年の始まりに、カナダの首都オタワの詩のイベントを主催している
マックス・ミドル氏から出演のオファーがあった。
ミドル氏は、ぼくがTZADIKから出しているSOLO VOICE やカナダのVICTO labelから出している
FIVE MEN SINGINGというアルバムのアバンギャルドな声の世界が好きらしい。
だけど渡航費まで出せないようだった。
そこで、いくつかのコンサートを企画する必要があったのだが、
ちょっと思いついて、VICTORIAVILLEというケベックの田舎町で26回も行われている前衛的音楽祭に
出演することになれば、国際交流基金などに助成をお願いすることもできるのではないかと提案した。
VICTORIAVILLEのプロデューサーのミッシェルさんに話をすると2010年は、すでに出演者は決まっていて
むずかしいようだった。
そこで1年経って、ヒカシューの新作と
TOKYO TAIGAというアルタイのボロット・バイルシェフとのコラボーレーションのCDを送っておいた。
ミッシェルがTOKYO TAIGAをとても気に入ってくれて、2011年のカナダ行きのプロジェクトがスタートした。

そこで、せっかくならNewYorkでも演奏したいと考え、ジャパンソサエティに話を持ちかけた。
すると、ヒカシューならできそうと言われた。
もちろん大喜びしたが、
世の中思い通りにはならないものだ。
カナダはTOKYO TAIGA
ニューヨークはヒカシューということになってしまった。

そんなわけでこの日ニューヨークJFKに到着したのである。