海外: 2010年9月アーカイブ
カオリさんの作るオカリナ 写真だけでは分かりにくいので
ムービー付けました。
ムービー付けました。
ノボシビルスクから
アルタイ共和国の首都ゴルノアルタイスクまで車で9時間。
ノボシビルスクの通関が厳しくて長蛇だったため
着いたのはもう夜。
一夜明けて、新しくできあがったドラマシアターに行くと
われわれのトリオАЯ(アヤ)のポスター、しかもかなり大きい。
UN(国連)の事務所に行き、友人に会いハワイコナの珈琲をご馳走になる。
バニラの香りのするフレーバー珈琲は、いまひとつアルタイ気分に似合わない。
お昼からドラマシアターで記者会見が行われた。
アルタイテレビの取材も受け、
アルタイ日本文化センター<キン>を立ち上げたエドワードさんにも対面。
<キン>は、金のことかと思ったが、どうやらアルタイ語で「へそ」という意味とのこと。
キリル文字で書くとКИНだ。
夕方、グレゴリーという人を乗せて少し郊外へ。
アルジャンスーという湧水で有名な土産物屋が軒を連ねるところを見学。
口琴の看板が目に入った。
そこからもうしばらく東へ行くとチェマルという村がある。
ここにグレゴリーの友だちでユダヤ人のカオリというアーティストが住んでいて、
ユニークな形のオカリナを作っている。
ボロットは彼女の作品をステージで使っていて、そのフォルムには見覚えがあった。
シャーマン風の太鼓もあり、
マサが叩いて「いいなぁ、でも重い」
「いくらなんだろうね」
マサの妻である香ちゃんがカオリの写真を撮る。
「イスラエルの歌謡曲に昔ナオミの夢ってのがあったよねー」
「あっちの名前かな、ユダヤの」
オカリナも含めけっこういい値段がしたので、ひとつも買わずに
グレゴリーさんの家に。
部屋にあった普通のコンガを指して、
「これ使ってもいいよ」
マサは困惑。「シャーマンの太鼓はほしいけど、コンガはいらないな」
アルタイ共和国の首都ゴルノアルタイスクまで車で9時間。
ノボシビルスクの通関が厳しくて長蛇だったため
着いたのはもう夜。
一夜明けて、新しくできあがったドラマシアターに行くと
われわれのトリオАЯ(アヤ)のポスター、しかもかなり大きい。
UN(国連)の事務所に行き、友人に会いハワイコナの珈琲をご馳走になる。
バニラの香りのするフレーバー珈琲は、いまひとつアルタイ気分に似合わない。
お昼からドラマシアターで記者会見が行われた。
アルタイテレビの取材も受け、
アルタイ日本文化センター<キン>を立ち上げたエドワードさんにも対面。
<キン>は、金のことかと思ったが、どうやらアルタイ語で「へそ」という意味とのこと。
キリル文字で書くとКИНだ。
夕方、グレゴリーという人を乗せて少し郊外へ。
アルジャンスーという湧水で有名な土産物屋が軒を連ねるところを見学。
口琴の看板が目に入った。
そこからもうしばらく東へ行くとチェマルという村がある。
ここにグレゴリーの友だちでユダヤ人のカオリというアーティストが住んでいて、
ユニークな形のオカリナを作っている。
ボロットは彼女の作品をステージで使っていて、そのフォルムには見覚えがあった。
シャーマン風の太鼓もあり、
マサが叩いて「いいなぁ、でも重い」
「いくらなんだろうね」
マサの妻である香ちゃんがカオリの写真を撮る。
「イスラエルの歌謡曲に昔ナオミの夢ってのがあったよねー」
「あっちの名前かな、ユダヤの」
オカリナも含めけっこういい値段がしたので、ひとつも買わずに
グレゴリーさんの家に。
部屋にあった普通のコンガを指して、
「これ使ってもいいよ」
マサは困惑。「シャーマンの太鼓はほしいけど、コンガはいらないな」
はじめてのАЯアルタイツアーにわくわくしていた。
今年の春、アルタイ共和国を代表する歌手ボロット・バイルシェフを日本に呼んだ際、
アルタイに日本文化センターを作る話があり、そのオープニングに合わせて、
АЯの公演をしようとという話があった。
だいたいの日程を決め、飛行機の予約に入り、
8月の上旬に北京経由のシベリア航空のチケットを購入した。
ところが、
8月の下旬になって、ボロットの代理チャガットから今度のツアーをキャンセルしたいとメールがあった。
ボロットは病院にいる。文化大臣との交渉にも失敗したとあった。
出発1ヶ月を切っていた。
ぼくが購入した航空券は、払い戻し不可のもの。
このまま無駄にするのもったいない。
コンサートはなくてもいいから、とにかくアルタイに行くので招待状を出して欲しいと返信した。
そして、なんとかビザを取得し、北京経由で無事ノボシビルスクに到着したのである。