The Mind King in Tokyo

from Richard Foreman's the Mind King

Photo copyright Junsuke Takimoto

彼の腕は痛んだ。理解しようとしたために。

indeed,indeed,


1995年6月2日から12日まで新宿P3上演された「マインド・キング」

愛ある誤解は魔法を持つ       

 八年ほど前に、作曲家のジョン・ゾーンと演劇の話になった。ちょ
うど、彼とぼくは高橋悠治の作った室内オペラ「可不可」に出演中
だった。いきつけの中華屋白竜で、玉子ギョウザや角煮のたっぷり
入ったチャーハンを食べながら、ポーランドの演出家カントールの
話になった。ぼくは何年もの間、カントールの「死の演劇」にノッ
クアウトされていたので、ついつい話に熱が入った。
「素晴らしい演劇というのは非常に少ない。カントールもその稀な
素晴らしい一人だ。あと、そう、リチャード・フォアマンを知って
いるかい?」
 ぼくはその名前を確かに聞いたことがあったので、「もちろん、
知っているよ。アメリカの実験演劇っていう本に収録されいる
と思うよ」と答えた。
「訳されているのかい? それはいいことだ」
 ジョンは、フォアマンの劇団オントロジカル・ヒステリック・シ
アターで、照明の手伝いなどをやったことがあるというし、彼の初
期の演劇の中にある細かい暗転によるデジタルな場面転換など、独
特のヴィジュアルのコラージュ方法は、自分の初期の作品に少なか
らず影響を与えているという。確かに、ジョン・ゾーンの「コブラ」
に代表されるようなゲームの理論を即興音楽に取り入れたものに、
どこか演劇とつながるようなものを強く感じる。 
 さて、ぼくはうっかり返事をしてしまった件のその本を確認して
みようと、家に帰って書棚を探った。ところが、すごく大事にして
いたその本がみつからない。そして、それはいまもって見つからな
いのだが、おそらく、みつかってもそこにはリチャード・フォアマ
ンの戯曲は載っていないだろう。でも、なにか読んだような錯覚を
していたのはなぜだろう。ぼくは未来に出会う本を読んでいたのだ
ろうか。そのおかげで、数年間彼の名前はぼくにとって謎になった。
 そして、探せど探せど、日本でリチャード・フォアマンの名前を
なかなかみつけることができない。時折みつけても、ローリー・ア
ンダーソンが影響された人物にあげていた程度のことで、リチャー
ド・フォアマンのことがまるでわからなかった。
 それから四年後、本当に久しぶりに「殺しのブルース」というソ
ロアルバムの録音のためにニューヨークへ行った。18歳の時にラ・
ママ実験劇場に出演した時に行ったきりだから、なんだかとても感
慨深かった。ぼくは誰もがニューヨークに来てすぐやるように、ヴィ
レッジ・ヴォイスを買った。そして、偶然そこにリチャード・フォ
アマンの名前を発見した。「マインド・キング」。まだ、アル
バムの録音は始まっていなかったので、ジョンに席を取ってもらい、
同行していた大友良英らとこの芝居を観ることができた。ようやく
出会えたリチャード・フォアマンの芝居にぼくの気持は熱くなった。
しかし、思っていた以上にこの芝居、なんだか凄い。言葉が異常に
丁寧にラジオマイクを通じて語られる。英語は途中ですっかりわか
らなくなったけれど、その独特の手法に魅了された。それはまるで、
一篇の詩であるかのような音韻の魔術だった。ジョンによれば、初
期の作品はかなりスピード感のあるものだったようで、フォアマン
は言葉により多くのエネルギーを注ぐようになってきているという。
 しかし、このなんだか凄い演劇は、なぜ、日本では誰も紹介して
いないのだろう。
 ぼくはこの不思議な演劇、彼自身が呼ぶところの「不均衡の演技」
のすっかりとりこになったので、リチャード・フォアマンの本を目
についたらすぐに買った。そして、これをなんとか紹介できないも
のかと考えた。
 そんな話をあちこちでして、もちろん、ジョンにも話した。そし
て二年前、ジョンがリチャード・フォアマンを紹介してくれた。ニッ
ティング・ファクトリーの一階のバーで、ぼくは「ザ・マインド・
キング」を特に気に入っているという話をした。いつのまにか、話
はすでに日本で上演することに進んでいた。「どんなふうにしても
かまわない」「登場人物は何人でもいいよ」「ひとりでも五人でも」
「違う演出を是非みてみたいよ」。彼は、あらゆる可能性を楽しめ
るようだ。
 それから、オリジナルの台本をもらうために、ウースター・スト
リートにある彼の部屋へ行った。部屋はたくさんの熱帯魚の水槽に
囲まれていた。彼の奥さんで、オントロジカル・ヒステリック・シ
アターの中心女優だったケイト・マンハイムが迎えてくれた。ケイ
トは少し具合が悪いようで、顔色が芳しくなかった。
「わたしはフランス語に彼の作品を訳したことがあるけど、大変よ。
あなたあまり英語力ないみたいだけどできるの?」
 なんて、ケイトにすっかり足元みられてしまったが、そこは我慢
してにこにこしながら立っていた。
 翻訳上演がオリジナル上演と多少のズレがあるのは百も承知だ。
しかし、誤解も文化の内なのだ。愛ある誤解は魔法を持つことだっ
てあるんだ。
 当然、ぼくはぼくのやり方で、「不均衡の演技」を捉えるだけだ。
もちろん、オントロジカルの演劇の発想の根源にわずかでも近づき、
無意識の領域を感じられる舞台を演出できたらと考えている。

巻上公一 1995/5
(マインド・キング上演時のパンフレットより)
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