media: 2010年10月アーカイブ

10月の初旬、
アルタイの首都ゴルノアルタイスクでのАЯ コンサート評が、
ゴルノアルタイ新聞に載ったのでご紹介します。

Алтайцы услышали музыку будущего 
記事 Анна Ковшарь 翻訳 生熊源一

10月4日、ゴルノ=アルタイスクにおけるコンサートによって、「Алтай-Япония(アルタイ-日本)」というグループの巡行ツアーが終わった。メンバーにアルタイの歌い手ボロット・バイルシェフ、日本のミュージシャン巻上公一と佐藤正治がいるこのグループは、最終日までにアルタイ共和国のいくつかの地域で出演してきた。

ボロット・バイルシェフは、彼自身告白するところによると、日本で手厚く迎えられたという。また、音楽の前衛芸術家たちと彼を接近させたのは音楽の概念だった、と。身振りと多くない英単語のストックの助けを借りて、彼は理想とステージを仲間たちと分かち合うのである。
バイルシェフは春に、「日本の」プログラムをアルタイ人たちに見せることを夢想していると打ち明けた。そのアルタイ人というのは、彼の言葉によるならば、ステージに慣れているけれども、しかし地元の観客は、これほどシュルレアリスム的な公演を見ることになろうとは予想することもできなかっただろう。
着物と、日本の舞台芸術の所作のエレメント。メロディーの抽出は、文字通りどこからでもなく行われた。巻上公一は、本物の魔法使いとして、自身の両腕をテルミンの上で動かし、空気中の弦をとらえた。観客は視線を傾注する。が、秘密の答えを得ることは結局できない。その後彼は、佐藤正治が自身の音楽を演奏するのを見ていた。彼が超然として太鼓を叩き、鈴を束ねた糸に手を差し伸ばすとき、ただそれらの純粋な音のみが、ステージで起きている全てのものに意味を与えることができるかのようであった。
ボロット・バイルシェフが歌い始めたとき、彼の声だけがより大きくなったように思われた――アルタイの喉歌が日本の前衛的ミニマリズムと一体になるのを可能にする、その本質性が我々を驚かせた。不可欠なことを付け加えなければならない。歌い手は全ての注意を自身の演奏にのみ集中させたわけではない。グループ「АЯ(アヤ)」は実際、集団として現れた。そこではトプシュールも日本の太鼓も、音楽という共通のカンバスを編み上げたのだ。伝統的な「歌-休止-歌」という分割がなくなることを理解したとき、観客は決定的に現実から抜け出した。いくつかのブロックにおけるコンポジションを考えることは意味を持たない――ミュージシャンたちはステージで宗教劇を、儀式を遂行したのだ。それにとって必要だったのは、法悦の状態に入るため、夢中になることだった。観客はこれを理解した。理性のレベルにおいてではなく、インスピレーションによる何かによって。ホールは一つの波の上を漂っていた。しかも、本格的に漂っていたのである。コンサートの終了は、きちんとしたトーンによって、この波に影響することはなかった。ゴルノ=アルタイスクの人は新しいもの、奇妙な歓喜の感覚と共に劇場を出た。そしておそらく、日本が寿司とアニメだけではなく、何かしら大きなもの、大きいと感じられるものだということを理解したのだ。
公演の一番初めに、アルタイ-日本文化センターの開設が公式に発表された。センターの機能は、今のところ、日本語の教授、アルタイ共和国と日出ずる国との文化的・経済的交流である。
最初の交流はすこぶる成功したといえるだろう。ゴルノ=アルタイスクでは、今年の春に出た「АЯ」のアルバム「TOKYO TAIGA」が完売した。そして日本の前衛家たちは、人々の幸福そうな笑顔と、普通の旅人がやってくることは稀なアルタイについての思い出を得て去っていった。
コンサートの後、佐藤正治は私にこう言った。「我々は未来の音楽を演奏しているんだ」、と。未来において全てが美しく響き、そうして様々な大陸の人々が言葉なしで互いを理解しあうのだとしたら、未来に最初に辿り着く




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